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すごい!の裏側

 

またまた、またまた、ご無沙汰しています。

(この挨拶から卒業しなければ・・・)

 

秋風が心地よい季節になりましたね。

教室内も動くのに、そしてシャバーサナに丁度いい温度。

 

 

さて、昨年も参加した The Practice.

肉体に重きを置いた3日間×3ヶ月のトレーニング。

 

ひたすらに弱いところに働きかけるわけですが、

肉体にアプローチすればするほど、その内面との深いつながりを感じずにはいられない時間。

 

 

 

 

数年来共に学び続ける、憧れの先輩方と一緒の練習。

 

彼女たちの進化し続けるアサナや内面性に触れる度に、

 

わぁ!すごい!!

 

憧憬と称賛の気持ちで無意識に口をつく言葉。

 

 

 

その言葉が持つ本当の意味を自覚しなさい。

 

そう師は言います。

 

 

 

すごい、という言葉の裏側には

 

私には無理

 

という思い込みや

 

 

自分で意識する前にもう生まれている

 

限界の線引き

 

 

が潜んでいないかと。

 

 

 

 

憧れることは何ら悪いことではないけれど、

 

その対象がどこにあるのかをもう一度自分に問いかけてみる。

 

 

 

今、目の前にある姿ではなく、

 

そこに至るまでにあったであろう人知れぬ努力こそ

 

憧れ、見習うべきなのだ。

 

 

 

 

その話を聞いて、思い出したことがある。

 

 

むかしむかし、

 

「努力できるのも才能」

 

そんな風に言われて酷く苛立ったことがある。

 

 

 

「同じようにやってもできない人がいる」

 

そう言われて。

 

 

 

確かにその通りだと思う。

 

 

 

でも。

 

そうであれば、

 

 

自分なりのやり方で、絶え間なく、怠惰な自分に勝ち続けるだけだ。

 

 

そして

 

 

負けてもすぐ立ち上がるだけだ。

 

 

負けないのではない、負けてもやめないだけだ。

 

 

あの頃の私はそう思っていた。

 

 

 

 

それなのに。

 

今の私は、すごい!!と尊敬しながら、

 

 

あれはあの人だからできるんだよね。

 

 

と無意識に心のどこかで思っているのだということを

まざまざと突き付けられた。

 

 

 

 

肉体に働きかけながらも、自分の内面に気づく。

 

そしてそれを変えていく。

 

誰も代わりにはやってくれない。

 

 

 

上っ面の快適から抜け出そう。